第3回口頭弁論  2021年6月29日

第3回口頭弁論(6月29日)に合わせ、原告弁護団から提出された「準備書面1」の概要を報告します。実際の書面は、64ページに及ぶ長大なもので、ここではぎゅっと圧縮した要旨に止まることをご了解ください。この書面内容に対して、第4回期日(9月27日)に被告国側から反論書が提出される予定です。なお、裁判を傍聴した方々の感想等は、この報告文のあとに掲載しています。

1.準備書面1の概要

原告側が主張している被告国の不法行為として、①憲法で保障された人権を侵害する医療保護入院(同意入院)制度を作り、その後も改廃しなかった立法不作為、②憲法14条に反する精神科特例を廃止しなかった厚生大臣の不作為、③精神医療政策に関する厚生大臣の不作為がある。これらの理解のために、日本の精神医療に関する歴史的経過を述べる。

2 事実経過

原告は、1973年から2012年まで、約40年間も、意に反して継続して精神科病院に入院することを余儀なくされたが、1960年代は被告が精神障害者に対する隔離収容政策を推し進めていた時期であった。1950年に同意入院制度を精神衛生法に設け、精神科特例を設けて少ない医療従事者で精神病院を維持できることとした。また、医療法の改正や医療金融公庫法によって経済的に優遇して、民間病院を設置・維持しやすくした。また、被告は通知を発して、強制入院を活用して精神障害者を入院させる方向に導いた。これらの隔離収容政策によって、精神病院は患者を病院内に収容させていれば経営として成り立つ状態を作出した。

医学的には、1955年に抗精神病薬が発売され始め、医師の間では治療をすれば退院できる見通しが立ち始めていた。しかし、被告は、精神衛生実態調査や様々な審議会からの意見やクラーク勧告による指摘についても無視し続け、隔離収容政策を進めるのみで、退院に向けた社会復帰施策をとることはなかった。欧米諸国においては、1970年代には精神病床を減らして地域医療に転換していったが、日本においては、1976年に医療審議会が答申した必要病床数を上回った後も被告が隔離収容政策を続けたため、1993年まで精神病床は増え続けた。

1960年代から入院した精神障害者が退院できずに病院内に滞留し、入院が長期化するようになっていき、1983年の精神衛生実態調査では、条件が整えば退院の可能性がある人は約10万人いることがわかった。それでも社会復帰施設の整備はなされず、その後も何万人もの精神障害者が、入院医療の必要がないにもかかわらず退院できずに放置された。原告は、まさにそのような不要な入院を強いられた患者の一人である。

被告が精神障害者の社会復帰に向けて真摯に取り組んでこなかったことは、その予算計上からも見て取れる。国の精神障害者にかかる予算は、1970年代後半から80年頃にかけて約850億円まで増え続けたが、その9割以上は措置入院補助費であった。1970年にはじめて社会復帰施設整備が予算化されたが、これは精神障害者にかかる予算のわずか0.1%にすぎず、1980年でも0.35%だった。1980年代は措置入院補助費が減っていったが、精神障害者にかかる予算全体が減額され続け、社会復帰施設の整備に回されることはなかった。また、今でも医療費の7割は入院医療費が占めており、入院と通院がほぼ同数の他の診療科に比べて、明らかに精神科は入院中心主義となっている。

3 医療保護入院を改廃しなかった立法不作為

医療保護入院は、同意入院として精神衛生法に設けられた時から本質的には変わっていない。身体の自由、移動の自由、自己決定権等の憲法上の重要な人権を侵害する制度であるとともに、精神障害者に限って私人による強制入院を可能とする点で、法の下の平等にも反する。同意入院は制度発足時から、精神障害者の隔離収容が主要な目的とされており、正当な目的があるとは言えない。入院には医療及び保護の必要性というあいまいな要件しか設けておらず、これらの厳格な審査基準を設けないまま、要件自体があいまい不明確であり、恣意的な運用を容認するものであり、実際に大きな地域差も生じている。

歴史的には、病院管理者のフリーハンドだった同意入院制度は40年近く放置された。遅くとも1987年の法改正の際に同意入院制度は廃止すべきであったが、要件を変えられることもなく、医療保護入院と改名されて温存された。その後も見直しの機会は何度もあり、関係団体からも医療保護入院制度の廃止を求める声が上がっていたが、要件が若干修正されたにとどまり、医療保護入院の実態には何らの影響もなく、是正に値する立法行為はなされなかった。このような立法不作為は違法である。

4 精神科特例を撤廃しなかった厚生大臣の不作為

被告は、精神科特例を設け、精神科患者のみが、他の医療と比較して必要な水準の医療を受けられない状態を放置し続けた。憲法13条後段及び憲法25条、憲法14条に反する。

5 精神医療政策に関する厚生大臣の不作為

精神医療政策に関する厚生大臣の不作為として以下が挙げられる。

(1)隔離収容政策からの転換義務違反

国の隔離収容政策により、多くの精神障がい者は、病院内で入院し続けることを余儀なくされ、その時間、人生を奪われ続けた。被告は、重大な人権侵害状態を自ら作出したのであるから、その解消のために、隔離収容政策から地域医療政策へと政策転換すべき義務があった。遅くとも、作為義務の内容が具体的に示された1968年のクラーク勧告を受けた後には、社会復帰施設整備及び地域医療の充実を進めることができたはずである。にもかかわらず、被告は、具体的な検討すらせず、逆に1980年頃まで隔離収容政策を増長し続け、社会復帰施設を設けることもなく、地域医療を充実させるための予算措置や診療報酬の変更を講じることもなかった。厚生大臣には、隔離収容政策を地域医療政策に転換させるべきであったにもかかわらず、それをしなかった不作為がある。

(2)精神科病院に対する指導監督義務違反

被告には、病院内で必要以上に入院が長期化したり、不要な入院が強いられることのないよう、入院医療が適切に行われているか、指導・監督する義務があった。定員を遵守させ、許可病床数を超えた過剰収容にならないよう監督・是正すべき義務もあった。さらに、医療従事者の人員配置基準を遵守しているかどうかを監督すべき義務があった。加えて、人員配置基準の変更、診療報酬の改定や監査制度の構築など適正な医療水準を確保するための制度を構築すべき義務があった。

1960年代から行政管理庁の改善勧告やクラーク勧告によって、不適切な医療や長期収容による患者の施設症化が指摘され、人員配置基準を多数の病院が満たしていないことや、過剰収容もあきらかになっていた。直ちにこれを是正すべきであったにもかかわらず、1980年代に入っても放置され続けた。また、人員配置基準の変更、診療報酬の改定等、適正な医療水準が確保されるための制度構築がなされることもなかった。

(3)入院治療の必要のない人に対する救済義務違反

被告の政策により、精神病院には、本来なら入院医療の必要はなく、退院できるにもかかわらず、入院を余儀なくされている者が1980年代から何万人も確認されている。1987年の法改正により任意入院が法律上明記された後も、医療保護入院については、運用基準の明確化が求められながら、要件も変わらないまま放置されてきた。厚生省には、このような法の厳格適用を行うべきだった義務の違反がある。

さらに、精神病院で長期入院を強いられ、形式的に任意入院に切り替えられても、その頃には自ら退院できる意欲や能力を奪われた患者が多くいた。原告もそのような患者の一人である。このような患者については、国が積極的に調査、介入するべきであり、政策支援、法令改廃、法令運用改善などの救済手段によって積極的にこのような不要な入院状態を解消すべき義務があった。しかし、厚生大臣は、1987年以降も、これを漫然と放置し続けている。

6 まとめ

よって、原告は、これらの被告の不法行為の責任を問う。

以上

引用元

古屋龍太「精神国賠第3回口頭弁論の報告―原告側準備書面の概要―」精神国賠通信,No.16;1-3,2021年7月発行

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