8月22・23日、障害者権利条約対日審査

「医療保護入院」今こそ廃止 障害者権利条約初の対日審査

8月22日,23日にはジュネーブで障害者権利委員会による対日審査が行なわれます。それに先立ち東京新聞に医療保護入院についての記事が対日審査と絡めて掲載されました。
日本障害者協議会(JD)が各会員団体・個人にむけて発信したものを引用させていただきます。

東京新聞 2022.8.7(日) こちら特報部
「医療保護入院」今こそ廃止 障害者権利条約初の対日審査

日本の精神科病院への入院の半数を占める「医療保護入院」。精神科の指定医と「家族等」の同意だけで、本人の意思に関わらず入院させる制度だ。本人の苦しみもさることながら、その決断を担わされる家族にも重い負担を強いてきた。自分の大切な人がいつ精神疾患を患うか分からない。二〇一四年の障害者権利条約批准後、初めての国連の対日審査も始まる。この前近代的なシステム、日本もそろそろ本気でやめませんか。(木原育子)

本人意思無視 家族関係にヒビ

七月下旬、東京都内。精神疾患を抱える家族でつくる「家族会」主催の講演会が開かれた。「自身の価値観で接しても逆効果ですよ」。精神障害者の社会生活技能訓練(SST)に携わるカウンセラー、高森信子さん(89)が説いていた。

参加者はじっと耳を傾けたり、熱心にメモを取ったり。家族会を運営する女性??は「精神障害者への偏見は根強く、家族は孤立しがち。わらをもすがる思いで来る方がほとんどですよ」とうつむいた。

「子どもを守るためだった」。五十代の女性も重い口を開いた。天真らんまんだった二十代の長女が統合失調症になったのは五年前。交際していた男性との別れ話のもつれからだった。

幻聴がやまず、自宅を飛び出し警察に捜索願を出すことも。ある日、手に負えぬほど暴れたため、嫌がる娘を精神科病院に無理やり入院させた。だが、三カ月後に退院すると、長女との関係性は随分変わっていた。「何であんな所に閉じ込めたんだ!」「じゃあ、お母さんはどうしたらよかったの?」。そんな応酬が毎日一晩中続いたという。「今も正解は見つかっていない」。涙声を絞り出した。

「ぼくもそう。もう一生入院していてほしいと思ったことはある」。奈良市の元新聞記者、小林時治さん(90)が語り始めた。

息子(56)が統合失調症を発症したのは、三十年以上前。大学受験に失敗し就職したが、「盗聴器が仕掛けられている」などと不審な言動が目立ち始めた。妄想が出て混乱したり、ドアを蹴って叫んだり。ひどい時は包丁を持ち出した。「親を脅すというよりは、『助けてくれ』と叫んでいるように見えた」。睡眠中以外は息子のことが頭から離れず、仕事で家を空ける時は「帰宅したら家が燃えてるかも」と本気で心配した。

これまでに五回、息子を入院させた。病院の劣悪な環境を嫌がって入院を拒んだこともあったが、説得した。「もう限界で面倒見切れず仕方がなかった」

小林さんは息子の生活支援の傍ら、精神障害者やその家族らの葛藤を伝える月刊紙「奈良県精神保健福祉ジャーナル・マインドなら」(二〇一五年廃刊)の編集に二十年近く関わり、社会課題を訴え続けてきた。

「正論を言えば、医療保護入院制度は今すぐなくすべきだ。ただ夜間や休日に症状が出て手に負えなくなれば、頼る先は警察しかないのが実情だ」と語る。「病床に頼った医療から地域支援の方が利益を生む形に社会が変わるといい。改革を先送りするしわ寄せは結局、精神障害者とその家族に降りかかっている」

仏教大の塩満卓准教授(精神保健福祉)は「入院の決裁権限が家族に委ねられること自体、自由権の面からみてもおかしい」と指摘する。塩満氏が調査委員長として二〇年に奈良県の精神障害者の家族千九十七人を対象にした調査(回答率42・7%)によると、本人の症状が悪化し、家族自身も精神や体調不良に陥ったケースは六割超。「医療保護入院で本人との関係がこじれた」のは31%に上り、七割が「家族が入院を決めたこと」が原因だった。

「地域でサポート」世界潮流

世界に目を向けると、精神科病院の入院基準の多くは「自傷他害のある恐れ」と「治療の必要性」の二点のみだ。フランスやドイツは医師だけでなく、裁判所の判断も含めて入院を決める。韓国や台湾は医療保護入院制度があったが、現在は廃止。韓国では一六年九月に違憲判決が出ている。

根強い保安思想 隔離固執 日本

なぜ日本は変わられないか。「精神科病院側に退院支援の意欲とノウハウが乏しく、患者を地域に出す力が弱いからだ」と語るのは日本社会事業大の古屋竜太教授(精神保健福祉)だ。

自ら選んだ住まいで自分らしく暮らす「地域移行」を国は掲げるが、成果は低い。例えば、厚労省の計画では、昨年二月の一カ月の地域移行支援の見込み量は三千六百四十四人としたが、実際に支援できたのは五百十三人のみ。このうち四百十七人が精神障害者だが、実際に退院にまで至った件数は示されていない。

古屋氏は「退院=家に帰ることを当たり前とせず、グループホームなどの選択肢も増やし、地域で受け入れるサポートをしていく。精神科病床を削減し、抜本的改革を担うべき国の腰が完全に引けている。自治体に丸投げする以前に、国がやるべきことがもっとあるはずだ」と強調する。

抜本改革で精神科病院ゼロ イタリア

海外では一九六〇年代初頭から、精神科病床を減らして地域精神保健サービスを充実させる流れは、当たり前になっている。ジャーナリストの大熊一夫さんは「地域移行は小手先ではできない。イタリアも完全な地域精神保健サービス網を敷くのに十年以上かけている」と指摘する。

イタリアでは、一九七八年にできた新精神保健福祉法で、かつては十二万床もあった精神科病院への新入院を禁止、二年後には再入院も禁止、二十世紀の終わりまでに精神科病院ゼロを実現した。代わりに、医師や看護師、福祉職らが常駐する「地域精神保健センター」が司令塔になり、地域で暮らす当事者を二十四時間三百六十五日オープンの体制で見守る、トリエステのような都市がいくつも出現した。

「イタリアでも最初は心配の声もあったが、市民を旧病院に呼び込むコンサートを企画したり、旧入院者が大挙して街を練り歩く大行進で市民を驚かせたりして、市民と患者の距離を縮め、社会から抵抗感をなくしていった」とし、「日本の精神科病院業界の幹部は、いまだに精神障害者から社会を守ってやっている、という保安思想に凝り固まっている。こんな古い石アタマでは地域精神保健サービスへの本格的改革は不可能だ」と語気を強める。

もちろん、公立病院であれば改革しやすいとの指摘はある。だが、日本と同じで民間の精神科病院が八割を占めるベルギーでも「脱施設化」は進む。一九九〇年代に二度の改革は失敗に終わったが、二〇一〇年からは厚労行政のトップが精神科病院に「体験入院」して地域移行への機運を高めたり、病院スタッフを訪問型医療チームに振り向ける成果を上げている。日本は世界の潮流から完全に置いてけぼりの状態だ。

今月は、障害者権利条約を一四年に批准して初の国連の対日審査がある。「日本障害フォーラム」のメンバーで、精神障害者の社会復帰を支える「やどかりの里」(さいたま市)理事長の増田一世さんらがスイス・ジュネーブで日本審査を傍聴する。

増田さんは「例えば政策決定の場である国の検討会一つとっても、構成員は病院経営者や専門職が多く、精神障害者やその家族ら当事者の意見が政策に反映しづらい仕組みになっている」と指摘。「日本の精神医療や保健福祉の現状は世界からみて大変恥ずかしい。国連勧告を機に当事者の意見を反映させた精神医療改革のため真剣に検討していきたい」と見据えている。

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