「かご」40年 国の責任問う

東京新聞2022年9月5日・『こちら特報部』に精神国賠訴訟の記事が掲載されました。

精神科病院への隔離政策
「かご」40年 国の責任問う 新聞投稿で社会とつながる 原発事故で退院

 精神科病院を「かご」と呼ぶ人がいる。約四十年という長きにわたり、精神科病院への入院を余儀なくされていた伊藤時男さん(71)だ。入院期間中、職業選択や結婚など多くの自由を奪われ、「かご」から空を見ては鳥の自由をあこがれ続けた。退院した伊藤さんは今、国の隔離政策の責任を問うため、国家賠償請求訴訟を東京地裁に起こし、係争中だ。問われているのは精神医療だけではなく、近代以降のこの国の有(あ)り様(よう)そのものだ。(木原育子)

 「暑かったでしょう」。七月下旬、群馬県太田市のアパート前。玄関を開けた瞬間、伊藤さんが満面の笑みでそう出迎えてくれた。

 部屋はカラフルだった。食卓のテーブルには花やサボテンが飾られ、ソファには自ら描いた趣味の絵が積み上がる。「十年前まで一人暮らしなんて絶対無理だよと言われてきたんだけどね…」と苦笑いしながら、伊藤さんは話し始めた。

 統合失調症を発症したのは十六歳。家を出て川崎や横浜で働き始めた頃だった。妄想が出るようになり、二度入院。そのたびに「脱走」した。

 病院関係者に頭を下げる父親の背中が小さくふびんに思い、「もう悲しませない。ちゃんと退院する」と誓い、父親が暮らしていた福島県に戻り、同県大熊町の精神科病院に転院した。この時、二十二歳。

 「真面目に働いていれば出られる」と信じ、「院外作業」として、病院近くの養鶏場でニワトリのふんを処理する仕事を計十一年、プラスチック部品工場でも一年半働いた。対価は一日わずか三百五十円。症状は改善していったが、いつになっても一向に退院の話は出なかった。

 主治医に申し出てもとりつくしまもない。「もう無理かも…」。自信と気力が奪われていった。

 病院には、伊藤さんと似た状況の人が多くいたという。閉鎖空間での生活は「小さな社会」が生まれやすい。患者同士の恋もあったし、ご近所トラブルのようないざこざも。次第に小さな社会に安住し、自分から退院をあきらめていく「施設症」に陥っていく。

 そんな伊藤さんが、「本当の社会」とつながる道もあった。新聞だ。院内の仲間に誘われ、川柳を投稿したのが始まりだった。二〇〇七年の川柳は伊藤さんの心持ちがよく表れている。

 アルバムに 亡父の鼓動が 残ってる(一月)。入院中に父親が亡くなり、葬儀にも参列できなかった悔しさを言葉にした。涙して 過去のアルバム 見つめてる(七月)

 「子どもを持つことは夢だった。退院さえできたら、こんな人生だったのかな」と、想像して詠んだ川柳も。新年に 我が家広がる 孫の笑み(一月)、リンリンと 鈴虫鳴いて 夫婦酒(九月)。伊藤さんは言う。「新聞に名前が載ることで、あぁ生きているんだって確かめていたんだ」

 そんな伊藤さんの人生を変えたのが、一一年の東京電力福島第一原発事故だった。原発に近い病院は閉鎖され、伊藤さんは茨城県内に転院。そこで、入院が必要な症状ではないとあっさり告げられた。すでに六十一歳。「驚いた。あの入院は何だったのかっていう思いと、今さらっていう思い」。グループホームでの二年の生活を経て、今は一人暮らしをする。投薬のみで症状は治まっている。

 伊藤さんは言う。「退院できないことに絶望して何人も自ら命を絶った。自分だけ解放されて、それでおしまいではいけない」。二〇年九月、自らの長期入院は、国が隔離収容政策をあらためなかった不作為によるものだとし、憲法が定める幸福追求権や移住や職業選択の自由を侵害されたと、東京地裁に提訴した。

ハンセン病と同時期に収容を法制化 共に近代化の犠牲 「あんな『かごの鳥』あってはならない」

伊藤さんのケースは氷山の一角だ。昨年度の厚生労働省調査によると、精神疾患による入院患者は二十六万三千人で、このうち入院一年以上が十六万四千人で六割を占める。二十年以上は二万人を超える。受け入れ先がないなど生活上の理由で退院できない「社会的入院」は約七万人とみられる。

 「そもそもこの国は、精神疾患とハンセン病患者を隔離収容し、近代化を推し進めた歴史がある」と指摘するのは、ハンセン病国賠訴訟で西日本弁護団の共同代表、徳田靖之弁護士だ。

 ハンセン病については明治期の一九〇七年、放浪する患者を療養所に収容する法律ができ、三一年には全ての患者を収容する「らい予防法」が成立した。

 精神医療も〇〇年の精神病者監護法、一九年の精神病院法を経て、戦後の五〇年に強制入院を可能にする精神衛生法ができた。

 日本に対し、世界保健機関(WHO)は六〇年、ハンセン病医療の隔離政策をやめるように勧告。六八年には精神医療の改善を求めた『クラーク勧告』が出されたが、どちらも見直されなかった。その後、ハンセン病は九八年から熊本、東京、岡山の各地裁で計七百人を超える原告が提訴。二〇〇一年に熊本地裁で原告の主張を全面的に認め、国の誤りを指摘した。

 東京地裁の訴訟で弁護団事務局長を務める赤沼康弘弁護士は、国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」(群馬県)の現場検証の際、裁判長が「去りがたい思いでいます」とつぶやいたのを今も覚えている。「事実の衝撃に裁判官の心が動いた瞬間だった」と振り返る。「強制隔離は、ハンセン病患者が隔離されて仕方がない存在だとの認識を社会に生じさせ、偏見を強め、無知や無関心を広げた。精神障害者の隔離にも通ずる話では」と投げかける。

 一方、前出の徳田弁護士は「ハンセン病訴訟では、収容施設を造った国の不作為を問いやすかった。精神疾患の入院は多くが民間病院。国の責任をどう問うか複雑な面がある」と指摘。伊藤さんの訴訟で代理人を務める長谷川敬祐(けいすけ)弁護士は「国が地域医療への転換を図らなかったために社会的入院が生じたことは明らかだ」と強調する。

 伊藤さんを支援する「精神医療国賠訴訟研究会」は、同様の苦しみを多くの精神疾患の患者や家族が抱えている事実を伝えるため、今月末を期限に証言を集めている。東谷幸政代表(67)は「国は多くの患者が奪われた自由と人生被害を直視し、精神医療体制をあらためる必要がある」と訴える。

 約四十年の入院を強いられた伊藤さん。その時間は大学卒業から企業定年に相当する。静かに語る。「人間は自由でないといけないよ。鳥だって自由に空を飛ぶ。あんなかごの鳥みたいなことあってはならない」

 精神科病床数の37% 日本に集中

 日本障害者協議会の藤井克徳代表と法政大の佐野竜平教授(アジアの障害者政策)は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の精神科病床のうち、日本が37%を占めるとの推定値を発表した。人権上の観点から、精神疾患の患者を地域で受け入れる「地域医療」が世界的に加速する中、日本の遅れがあらためて浮き彫りになった形だ。

 OECDは加盟する三十八の先進国ごとに、千人当たりの精神科病床数を公表している。佐野さんらが、各国の人口をもとに、加盟国全体の病床数と国別の割合の推定値を算出した。その結果、ドイツ12%、米国11%、韓国7%、フランス6%、ポーランドと英国は2%で、日本の高さが際立ったという。

 藤井さんは「この国には社会防衛思想が根強く残り、精神障害者は邪魔者扱いされ続けている」と指摘。「患者の働く場や住まいの確保、所得保障や家族負担の軽減を図り、地域医療の採算がとれるようにする。これらの展望を示せば、問題解決への道のりは縮まる。裁判を機に国は重い腰を上げるべきだ」と求める。

 デスクメモ

 2022・9・5

 亡き父を思い、夢を語る伊藤さんの川柳に、思考力や感受性を失った人の姿は見られない。そうした人を四十年もの間、「かご」に押し込んだのは、私たちの社会の狭量さと無関心ではないか。病院は原発事故の被害に遭った。そこにいた別の被害者にも思いをはせたい。(北)

Follow me!

相談電話1