神戸新聞〈随想〉しこり
2023年10月13日(金)、神戸新聞夕刊に藤井克徳・JD〈日本障害者協議会〉代表が書いた記事が掲載されました。
〈随想〉しこり
藤井克徳
秋風が吹き始める頃になると蘇る光景がある。病院の霊安室での葬儀である。
そこにいたのはお坊さんとA君の母親。これに筆者ら作業所の職員二人が加わった。短めの読経が終わると、棺は素早く霊柩車に移された。霊柩車とは名ばかりで、遺体運搬車だった。
体調を崩したA君は、二か月ほどの入院生活を送った。復調し、作業所に通い始める直前に自ら命を絶った。駆け付けた筆者に母親はこう言った。「先ほど院長先生に頼んで、葬儀を病院の霊安室で行なうことにした」、そして「地元ではこの子はいないことになっている。家では葬式はあげられない」と続けた。母親を責める気にはなれなかった。この時詠んだ短歌を二つばかり紹介する。〈経読みと蝉の音だけがひときわに 霊安室の葬儀母のみ〉〈霊柩車見送る人の影は無し 死して解(ほど)けじ差別の結び〉。止まらなかった涙は、悲しさだけではなかった。悔しさの方が多かったのかもしれない。これらの涙は、しこりとなって今も心の底に鎮座したままである。
しこりと言えばもう一つ。M君の一件があったその頃に、地域の民間病院の院長と同席の機会があった。院長同士のやりとりの中で、「固定資産」という言葉が飛び出した。後に、それが長期入院者を指す「業界用語」であることを知った。「長期にわたりあてにできる収入源」の意味で用いていたのである。嫌な響きは、やはりしこりになっている。
あれから35年余になる。さすがに「固定資産」呼ばわりは影をひそめているが、実体は今も変わらない。精神科病床数も平均入院日数も高止まりのままである。虐待や身体拘束はむしろ悪化の方向にある。昨今やたらと耳にする「誰一人取り残さない」は、最初から精神面に障害のある人は省かれているのだろうか。そんなことがあっていいはずがない。
(NPO法人日本障害者協議会代表)