ダイバーシティ映画祭 in 八王子
映画 夜明け前(呉秀三と無名の精神障害者の100年)&シンポジウム
2023年12月23日、ほっとスペース八王子、ユーラシア映画祭の共催で、「ダイバーシティ映画祭 in 八王子」が開催された。このイベントはきょうされん結成40周年記念映画“夜明け前・呉秀三と無名の精神障害者の100年”の上映とシンポジウム、ユーラシア映画祭製作の“狂気と密の日々”やイラクやパレスチナ・ガザのルポ等の報告ムービー上映を行なうというもの。
14時、主催者を代表して、当精神国賠研の役員でもある、ほっとスペース八王子・市川理事長から、あいさつと趣旨説明があり、映画“夜明け前”が上映された。
夜明け前
この映画は、精神疾患に有効な治療法がなかった時代に座敷牢に幽閉された精神病者を救おうと奔走した呉秀三の業績、1910~16年に調査を行ない、1918年に刊行された私宅監置全国調査の報告『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』に焦点をあてたもの。
この本に記された「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ,此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」という言葉はあまりにも有名で、100年あまり経った今なお、置かれた状況が変わっていないことに愕然とする。
1897年からオーストリア、ドイツに留学し研鑽をかさねた呉は、1901年の帰国と同時に東京帝国大学教授と東京府巣鴨病院(後の都立松沢病院)院長に就任する。院長就任と同時に手かせ・足かせなどの拘束具の使用を禁止した。治療ではなく、“危険”人物を幽閉することを目的とし私宅監置を進めようとする国との軋轢のなかで、全国調査に踏み切り、その劣悪な実態を明らかにすることで「精神病者ノ救済・保護ハ実ニ人道問題ニシテ,我邦目下ノ急務ト謂ハザルベカラズ」と警鐘を鳴らした。
この呉の精神は連綿として松沢病院に生きている。2012年20%に迫っていた身体拘束率を改革し2%まで減らした。それにより当初「拘束をやめたら、大量の薬剤で眠らせなければならなくなるのではないか」と思われていたが、杞憂であったと。「拘束を止めることは人として向き合うことだ」という言葉が胸を打つ。
夜明け前上映後は、ユーラシア映画祭の製作ムービーやイラクで映像製作をすすめている監督のインタビュー、ガザ地区への潜入ルポの発表をはさんで、シンポジウムが行なわれた。
シンポジウム
シンポジストには、七生病院や滝山病院からの患者救出活動を続ける相原弁護士、精神国賠研・古屋代表、ほっとスペース八王子会員・『おりふれ通信』編集委員で、国賠研会員でもある小峰さん、ユーラシア映画祭・増山代表、楢谷監督。ジャーナリストの福田さんの司会・進行で行なわれた。
古屋さん
精神病者監護法と呉秀三と題して、監察保護の歴史的経緯と法制度の問題点を提起した。
・私宅監置が亡くなったという事例が今なお発見される。残念ながら今も行なわれている。
・精神衛生法成立によって私宅監置は廃止。だが、病院監置に置き換わっただけ。そこに治療の観点はない。
・その後法律は変わったが、強制入院制度は72年間変わらずに存在している。
・伊藤時男さんは、1968年に最初に入院して以降、累計で45年間にわたって入院していた。
・日本は精神病院大国であり続けている。国際機関などが度々是正勧告を受けてきたが、変わることはなかった。
問題点
1 日本の隔離収容政策の歴史的負債
2 脱施設化に向かおうとしない精神医療政策
3 72年間続く、現行法下の強制入院制度
4 抜本的改革と利益相反する強大な経営団体
5 現状を追認する専門職の意識
これらの問題を解決するため国賠訴訟を起こした。
・本人不同意にもかかわらず、家族などの同意で入院可能な制度は日本だけ。諸外国では、司法の介入がある。
相原さん
もともと精神科のデイケアの職員。全国的に見ればひどい病院もあったが、東京はよくなったのではないかと思っていた。が、そうではなかった。
『何だこの病院』と最初に思ったのが、町田にある飛鳥病院。その次に日野市の七生病院。
七生病院事件
クラスターが起きると外から南京錠をかけられるようにした上で、コロナ陽性者を6人ずつその部屋に収容。畳敷きの部屋に6人分並べて布団が敷いてあって、真ん中に簡易トイレが置いてあった。ナースコールもない病院で、看護師もこない、診察もしない状況に放置した。阿鼻叫喚の状況。
滝山病院事件
・内部通報からはじまった。
・警察は、そのまま刑事裁判になった時に有罪になるという証拠を揃えていかないと、そもそも動かない。東京都はもっと動かない。
・虐待が行なわれていることは明らか。証拠を適法に集めなければならない。同時に虐待を受けて死亡する人も出ている状況で、活動してきた。
・東京都からの改善命令が出た後にも事例がアップされている。虐待が事件発覚後も続いている。
・滝山病院は任意入院が圧倒的に多かった。精神保健福祉法22条2項には任意入院患者が退院を申し出たら、退院させなければならないという規定がある。
それでも入院しているのは、帰る家がないから。帰る家を管理者が探そうとしないから。
法律は整っていても、現場が守ろうとしない、監督すべき行政も守っていない。そういう側面も見逃してはならない。
小峰さん
・入院経験あり。20年も入院している人に会った。その人は怖くて退院できないという。施設症になってしまっていた。そういう状況に疑問を感じて国賠研に入った。
・時男さんは、東大に入るよりも退院するのは難しいと言う。退院できなくて絶望して常磐線に飛び込んだ入院仲間もいた。こういう辛もいをしている人達を見てきたので、国家賠償訴訟に踏み切ったのだとも。
・八王子に16か所病院がある。病院訪問をしてひとりでも多く退院させてあげたいなという思いからほっとスペースに来た。昔は22か所だったものが老人ホームなどになって減ってきている。そうなったらいいなと私も思っている。
・精神科は誰もみてないから、やりたい放題なのでは。目と目があっただけで、診察が終わったことになった。診察室に入る前に「わかった」と言われたこともある。あのセンセイはテレパシーもっているから診察すぐ終わるんだなと思った。私も早く診察終わりたいので、そのままにしたこともあった。
・自分の目で真実を見て、裁判を傍聴して勝訴していくのが私の目標です。
シンポジストの発言に続いて、会場からの質疑応答があり、イベントが終了した。
(文責・MAN太郎)