当事者尋問で何が

2月27日の第15回口頭弁論で行なわれた伊藤時男原告への当事者尋問。その概略を掲載します。

当事者尋問について

原告側尋問

●入院することとなった経緯
●双葉病院における入院生活・入院治療の実態
●伊藤さん自身が入院形態についてどういう認識をもっていたのか
●退院の申し出をどういうふうにしていたのか
●それに対して病院、ご家族との関係はどうだったのか
●法改正によっても状況は変わらなかったのか
●長期入院によって施設症になったこと
●退院の経緯
以上の内容に沿って尋問がなされました。

被告反対尋問

●入院中も自由に過ごしていたのではないか。自らの意思で入院し、その生活を謳歌していたのではないか。ということを聞き出そうとしていました。

争点1 事実認定について

証拠として提出された双葉病院のカルテには入院形態に関する記載がありません。
一般にカルテのトップに記載されている
〇〇年〇月〇日~●●年●月●日 医療保護入院
▲▲年▲月▲日~★★年★月★日 入院形態変更・任意入院 保護者名 〇×△□
といった記載がないのです。 
したがって、伊藤さんが強制的に入院させられていたのかどうかということが争点の一つにならざるを得ませんでした。

それで被告は

●伊藤さんは入院中もいろんなところに出かけていた。いろんなイベントもあった。
 ある程度自由に過ごしていたのでは。
●伊藤さんは任意入院。
●仮に強制入院だったとしても、人権制約は少なかったのではないか。
ということを裁判官に印象づけようと意図したと思われます。

対して原告側は

●最初は、旧制度下の「同意入院」=医療保護入院からスタート。知らないうちに任意入院に替わったが、お父さんが亡くなるまではずっと強制入院のまま。伊藤さんの意思で入院しているのではないことを証言してもらいました。
●原告弁護団は、当時の精神衛生法上「同意入院」しかありえず、法改正後も「医療保護入院」であったことを主張しています。
●父親死去後に「任意入院」への切り替えが行なわれたのかもしれませんが、時男さんはそのような説明を受けたことはないと法廷で証言しました。

争点2 施設症について

●伊藤さんは退院を諦めた。
→原告側:長期入院の結果、それによってもたらされた意識。自発的なものではない。
→被告側:伊藤さんは自らの意思で入院しており、入院生活を楽しんでいた。入院を自分で望んでいたではないか。

尋問で明らかになったもの

●入院の経緯:東京の病院で入院
→最初の段階で強制入院だったことは明らか。
●福島に転院した後の病状 転院後も病状が良くなかった
→転院後も医療保護入院であった。
●「自由入院」という言葉を知っているか:知らない
●父親に言われて入院した
 →保護者の同意に基づく入院であった。
●双葉病院での入院実態:長期間に渡って院内作業、院外作業をしていた
 →入院の必要性がなかったことは明らか。
●退院の申し出をしたか:した
 病院:家族がOKなら退院させる
 家族:院長がOKなら退院させる
 →板挟みになり、事実上退院できない状況が生まれ、退院の意欲が削がれていった。
  病院と家族の板挟みの状況が施設症を生み出していくという構造を明らかにした。
●状況を変えるためには外部からの働きかけが不可欠。外部からの働きかけはあったのか:ない
 →医師、看護師、ケースワーカーなどはどんな働きかけをしてくれたのか。
●病院への外部監査はあったか:あったがベッド数を誤魔化すだけだった
●外出はどれ位の頻度で行なったか:年に1、2回
●入院費は誰が払っていたのか:家族が負担
●入院形態の説明はあったか:ない
●施設症にどうしてなったのか。諦めた理由は何か:(何をやっても変わらない状況に)絶望した
●退院請求制度を知っているか、使ったことはあるか:知らない。使ったことはない
 →原告:退院請求制度が機能していないことを裁判官に分かってもらうために質問。
 →被告:退院請求制度を使ったことがない。使っていたら退院できたかもしれないことを示唆。
●退院の経緯:東日本大震災後転院した病院で医師からグループホームを勧められた
 →施設症があろうとも、働きかけがあればすぐに退院している。
 →国が監督していなかったのが問題。
こうして、「病状も安定しており、働けていたのに、40年近く退院できなかった」現実を証言しました。
なお、原告側が求めていた3名の証人尋問は、裁判長により却下されました。(文責:MAN)

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