『障害』を考える11 《人権モデル》

 2022年9月に、国連障害者権利委員会が「日本の第一次報告書に対する最終見解 」(総括所見)を出しました。
障害者権利条約の規定にのっとって、日本政府は自国の実情や政策について初めて報告しました。それを受けて2022年8月22・23日に日本政府と国連障害者権利委員会とが対面して「対話」が行なわれました。これら一連の審査を経てこの「総括所見」が発表されました。
 この総括所見には、「障害の社会モデル」という言葉はまったく出てきません。それに対して「障害の人権モデル」という言葉は7回出てきます。国連障害者権利委員会は、「社会モデル」ではなく「人権モデル」という概念で総括所見を書いていると思われます。日本の法体系を含めたシステムが人権モデルと乖離があることを指摘しています。

この「人権モデル」という概念は急速に広まってきているもので、社会モデルを発展・改善させるものと捉える考え方、相互補完するものと捉えるものなどが存在しています。また、同義語として扱われることもあれば、社会モデルからの脱却として提示され、対照的なモデルとして語られるることもあります。諸説ある中で、いったいどういうものなのか、整理しておく必要があると思います。

障害の人権モデルとは

初期の定義は

「人権モデルでは、人間が本来持っている尊厳に焦点を当て、その後必要な場合に限り、その人の医学的特徴に焦点を当てる。このモデルは、自分に影響するすべての決定において個人を中心に置き、最も重要なことには、主な「問題」を個人の外、社会の中に置く」というもの。

障害者を保護や福祉の対象として捉えるのではなく、そもそも人権の主体であるという考え方です。障害者がその意思決定に基づいて自分の力を最大限に引き出し、その人らしい生活を送れるように意思決定支援を十分に行うことを重視しています。機能障害を人間の多様性の一部として、あるいは機能障害の有無にかかわらずアイデンティティとして捉え、あるがままに地域社会が受け入れその尊厳を保障すべきであるとする。そして、障害とは人権侵害が生じている状態にほかならない。
これは障害者権利委員会が発信している考え方で、人権が保障されていない場合は国に改善を求める際の理論的基盤となります。

「障害は個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されており、社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという」障害の社会モデルの考え方をベースとしていると思います。障害の社会モデルは、障害(社会的障壁)がどのようにして構築され、いかにして解消すべきかを考える上で重要な枠組みとして機能してきました。

社会モデルの限界点

障害は社会的障壁によってつくりだされているのだから、これを取り除く配慮=合理的配慮を社会は行なわなければならない。として日本でも障害者差別解消法でそのすべての事業体への義務化がなされています。
しかし、視点を変えるとこの合理的配慮とは競争社会の中で、健常者と同じスタートラインに着くための配慮とみることもできるわけで、そもそも競争社会のあり方を問うことはしていません。合理的配慮がなされ、社会的障壁がなくなったとしても、競争原理はそのままである以上、差別がなくなるわけではありません。また日本の法律のように、合理的配慮が、配慮する側の過度の負担にならない限りに実行するだとか、配慮する方法について、配慮される側ではなく、配慮する側に決定権があるなど、慈恵的要素が見え隠れします。

社会モデルから人権モデルへ

社会モデルの果たした役割

・障害は、社会的に作り出された抑圧の一形態=社会的に生み出された不正であり、抜本的な社会変革によって排除できると考えられる。
・「身体的、精神的、または感覚的な機能障害による個人の機能的制限」と「物理的および社会的な障壁により地域社会の通常の生活に参加する機会が失われること、または制限されること」を区別
・社会的障壁の発見に寄与。政策改革が必要な場所を特定するためのものである。改革の方向性を示し、社会変革を導く基本原則を提供する。

人権モデルへ

・人権モデルは障害のモデルではなく、障害政策のモデルと見ることができる。
・障害者の社会的正義を前進させるために「何をすべきか」という問いに答えるという意味で、記述的ではなく規範的である。
・特別なことをするのではない、そこにその人が当たり前に存在することが必要で、そのために自ずと必要なことをするのだと。

人権モデルとは、ある意味原点回帰というべきなのでしょうか。

〈文責:MAN〉

参考:障害の社会モデルと人権モデル:相補論にむけて〈JD仮訳〉