『障害』を考える 5《精神障害者って誰》

この項目は書きかけであり、精神国賠研究会の統一した見解ではありません。活発な論議のために公開するものです。

精神疾患は『障害』なのか

国賠研に中でも、患者、当事者、障害者。さまざまな呼び方がなされています。「精神障害のある人」と表現されることもあります。
はたして、精神科疾患に罹患することが障害なのでしょうか。患者は障害者なのでしょうか。精神障害者とは誰のことを指すのでしょうか。

精神科疾患が本当に病気なのかどうかは諸説あると思います。
が、ともかく、特有の症状がみられると医学的治療行為がなされます。その意味で、少なくとも治療が必要な「患者」ではあると思います。

この時、彼氏・彼女は「障害者」なのでしょうか。

精神障害者保健福祉手帳は初診日から6か月以上経過しないと、診断書が受理されず、したがって手帳の交付はありません。手帳をもつ者を障害者と呼ぶのであれば治療開始6か月を経ていない人は障害者ではありませんよね。
しかし、医学モデルに基づけば、病名がついた時点で障害者とみなすことができます。普通は、病気治療中の人は患者と呼ばれるんだけどね。

精神保健福祉法では
第5条(定義)この法律で「精神障害者」とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう。
となっていて、完全に医学モデルに準拠しているね。

この法律の定義にしたがって、多くの人は医学的に診断される損傷・機能制約が障害の本質と捉えられているように思える。病気=障害。患者=障害者。
病気になったのは、個人の悲劇と本人も周りの人も思ってしまう。だから病気になったのも、治療するのも自己責任。うつになるのもコロナにかかるのも自業自得というわけか。病気なんだから、社会的不利益を受けても仕方がない。まるで国際障害分類・ICIDHがそのまま生きているみたい。

精神障害者は作られる。『精神障害者』にさせられる

障害者権利条約に基づいた視点で、精神障害をとらえなおす必要があると思います。社会モデルの視点。

病気の帰結として社会的障壁が生まれるわけないよね。病気になったら、差別されて当然なわけ? 一度病気になったら、治っても閉じ込められて当然なわけ? おかしいよね。

一時期治療が必要な「患者」だったとしても、急性期がすぎ、容体が安定して、寛解したとき。精神疾患以外の病気であれば、その後一定期間様子をみて、問題なければ全快したといわれます。もちろん、心臓病にせよ、がんにせよ入院していません。

他の病気なら退院できるのに、本人の同意を必要としない医療保護入院という、特殊な入院を強制されたり、受け入れ先が無いことを言い訳にしたような超長期入院。精神疾患の場合は寛解した後に社会的障壁が襲ってくる。こうして、この時「うつ病患者」だとか、「統合失調症患者」といった病名が消えて「精神障害者」というものにさせられるのではないでしょうか。

この隔離こそが精神障害者への差別を生むのです。堀正嗣さんはその著書の中で言っています。

障害者差別の本質は排除と隔離である。排除と隔離が極限まで進むと、「障害者は殺した方がいい」という優生思想に基づく政策や行動が生じる。歴史上それを政策として行ったのはナチスドイツである。ナチスドイツは毒物注射や餓死、ガス室で7万人以上の障害者を抹殺したと言われている。日本でも国民優生法や優生保護法の下で闇から闇へと葬られていった子どもたちがいる。さらには、相模原障害者殺傷事件を起こした植松聖は、「障害者は不幸をつくることしかできません。……略……障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」(朝日新聞取材班 2017: L294-6)と衆議院議長への手紙に書いている。恐ろしいのは、インターネット上でこの発言に賛同する人々がいることである。
(「障害学は共生社会をつくれるか──人間解放を求める知的実践」堀正嗣、2021年、明石書店)

(文責・MAN太郎)