『障害』を考える 2《医学モデルと社会モデル》

障害をどう捉えるか

公衆衛生の向上増進を国の責務とした日本国憲法が成立し、傷痍軍人救済の必要性から始まった障害者福祉ですが、そもそも、何をもって障害とするのかという概念は様々な考え方が存在します。

医学モデル(個人モデル)
その人の機能的制約を障害と捉える障害観は「障害の個人モデル」「医学モデル」と呼ばれています。
医学的に診断される損傷・機能制約を障害の本質ととらえ、個人的治療により問題解決を図る障害観です。イギリス障害学の先駆者マイケル・オリバーは個人モデルを『個人の悲劇モデル』とも呼んでいます(『障害の政治』1990)。このモデルでは障害とは事故や怪我、病気などによって損傷を負った「個人の悲劇」だと考えているのです。
そして障害によって生じる問題の解決の基本的な責任は個人にあるとします。その結果、「個人的治療」という個人への介入が、問題解決の基本的な方向性とされます。

自由競争と自己責任の日本ではとても受け入れやすい考え方。「働かざる者、食うべからず」とか「障害のある人」とか。
資本主義的生産によって生産効率の悪い障害者が排除されることになっています。

社会モデル
これに対して、障害を個々人の特性ではなく、それによって受ける不利益のこととして捉えようとする考え方があります。これを障害の社会モデルといいます。
これは1960年代のイギリスの障害者権利運動や自立生活運動が進展するなかで生まれました。
「隔離に反対する身体障害者連盟」Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)」が結成され、1976年「障害者の基本原理」を発表しました。

「我々の見解においては、身体障害者を無力化しているのは社会である。ディスアビリティとは、私たちが社会への完全参加から不当に孤立させられたり排除させられることによって、私たちのインペアメントを飛び越えて外から押しつけられたものである。このことを理解するためには、身体的インペアメントとそれを持つ人々の置かれている社会的状況との区別が不可欠であり、後者をディスアビリティと呼ぶ 」(UPIAS 1976: 2-3)

インペアメントとディスアビリティは次のように定義づけられています。

機能制約(インペアメント): 四肢の一部または全部の欠損、あるいは制約のある四肢・器官・身体機構の欠陥。
障害(ディスアビリティ): 身体的なインペアメントを持つ人のことをまったくあるいはほとんど考慮せず、したがってこれらの人を社会活動の主流から閉め出している現代社会の仕組みによって生みだされる不利益や活動の制限。それゆえ身体障害とは社会的抑圧の一形態である。
(「隔離に反対する身体障害者連盟」Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)・『障害の原理』より)

そもそもこのUPIASが身体障害者施設の入所者を中心に結成されたので、インペアメントを「四肢の一部または全部の欠損、あるいは制約」と規定されていますが、その後、様々な批判や論争がありました。
 
インペアメントは「損傷・機能制約」なのか「個性」なのか
生物学的な機能だけでなく、個人的経験や感覚・感情も含めた「アイデンティティ・個性」として捉えるという考え方が女性障害者を中心として生まれました。さらには、個人的経験の集合を「社会的経験・文化」として捉える考え方など。いわば、「新社会モデル」が提唱されるようになりました。
 いずれも、共通するのは、そのインペアメントが受ける社会的不利益こそが障害なのだ、という考え方。したがって、障害者とはその社会的不利益をこうむる者の総称です。

WHO(世界保健機関)の考え方

福祉系の勉強すると必ず出てくるICIDHとICF。

ムカ~シ、介護職の初任者研修うけた時にもでてきたよ

国際障害分類・ICIDH(International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps)「機能障害・能力障害・社会的不利の国際分類」1980年制定

疾病・変調(Disorder)→機能・形態障害(Impairment 例:運動障害)→能力障害(Disability)→社会的不利(Handicap)

疾病・変調などの身体的原因で機能・形態障害がおこり、それが社会的には能力障害とされ、そのことによって社会的不利益をこうむる、という考え方。
医学モデルに依拠しつつも、機能・形態障害だけを障害としていた従来の考え方を一歩すすめて、機能・形態障害、能力障害、社会的不利を合わせたものを障害としました。

結局、疾病の帰結として社会的不利益が生まれるということで、社会のあり様が反映されていないことが批判の対象となって、ICFが誕生することになったんだよね。

国際生活機能分類・ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)
医学モデルと社会モデルを統合したものとして2001年WHOが採択しました。

「健康状態」、3つの「生活機能(心身機能・身体構造、活動、参加)」、2つの「背景因子(環境因子、個人因子)」から構成。社会的障壁なども加味するようになった。とされています。障害者だけでなくすべての人の健康を多角的に考える分類・指標として様々な場面で使われています。
機能制約を個人因子、社会的不利益を環境因子として扱っています。

人間の生活機能は「心身機能・身体構造」「活動」「参加」 の三つの要素で構成されており,それらの生活機能に支障がある状態を「障害」ととらえています。 そしてこの生活機能の障害は社会的障壁と個人のインペアメントと相互に影響し合うものとして考えられているよ。

なんか、いろんな意見をいいとこどりしたみたいな感じ~。でもこれが国内法での規定の基礎になっていることはマチガイないね

精神国賠研の考え方

何をもって障害(生きにくさ)とするか、精神国賠研として統一した見解があるわけではありません。いろいろな立場の人が参加しており、さまざまな意見があると思います。
歴史的には、個々人の機能制約を障害とする考え方から、それに不利益をもたらす社会のあり方をも含めて考えるように変化してきたと言えると思います。
ともすると、医学モデルと社会モデルを対立的に考えることが多いのですが、一度、冷静に考えてみることも必要なのではないかと思い、この企画を掲載することにしました。

国内法の規定も身体障害者と精神障害者を分けたものから、障害者基本法で統合して考えるようになり、同時に社会的障壁に関する事項が付け加えられました。
さらに、障害者差別解消法では、社会的障壁を放置することが差別を生み、それをなくすための配慮・合理的配慮を行なうことがすべての事業者の義務とされるようになりました。
障害者権利条約の批准を契機として、少しずつ社会のあり様も変わっています。しかしながら、こと精神障害については置き去りにされたままです。

(文責・MAN太郎)