はじめに

 今、原告が、入院中の生活、提訴に至った思いを語ってくれました。福島の病院で39年間と51日間もの長期間の入院を強いられ、その前の入院を合わせると、原告は10代後半から20代、30代、40代、50代と、その人生の大半の時期を、精神科病院内で過ごすことを余儀なくされました。普通なら、友人や家族と自由に会って楽しく過ごし、社会内で働いて自分で稼いだお金を自由に使ったり、結婚して家庭を持つなど、多くの人生経験を得る時期です。
 日本の精神医療の実態を知らない人が聞いたら、これは、原告がたまたまその病院に入院してしまったことが不運だったのであって、その病院を相手に訴訟を提起すればよいのではないか、と思われるかもしれません。
 しかし、原告は、たまたま東日本大震災によって福島の病院が廃院となったため、転院、退院へと結びついたに過ぎません。原告のように入院している人が、日本の精神医療の中では、むしろ当たり前であることを、次に述べます。

日本の精神医療の実態

 今、日本には約28万人もの人が精神科病院に入院しており、そのうち約13万人が医療保護入院という強制入院の状態です(H29精神保健福祉資料)。先ほど、この法廷で陳述した原告も、約30年間医療保護入院でしたが、強制入院の必要を感じたでしょうか。
 また、この28万人のうち、約4万9,900人については、国も「受け入れ条件が整えば退院可能」とされています(H29年度患者調査)。原告は、このような患者のひとりで、たまたま「受け入れ条件が整った」といえますが、残りの約49,899人については、まだ入院しているということになります。
 さらに、日本では、精神科での入院が5年以上になった65歳以上の患者さんについては、約3分の1が死亡によって退院になっている、という事実もあります(H28精神保健福祉資料)。原告が、このまま福島の病院で入院し続けて、亡くなっても、おかしくなかったのです。
 このように、日本では、精神障害者は入院しているのが当たり前、ともすれば死ぬまで入院していてもおかしくないという、入院中心主義が、原告が入院していた時から、今でもずっと続いています。

世界の状況

 では、この日本の状況は、精神医療の分野では、仕方のないことなのでしょうか。そんなことはありません。
 世界では、1970年代、80年代から、精神病床を減らし、精神障害者を病院に入院させるのではなく、地域で暮らしながら通院する、という方向に変わっていきました。そのため、平均在院日数も、1980年代から2000年代にかけて減っていき、今ではほとんどの国が約50日未満となったにもかかわらず、日本だけが相変わらず約300日と変わっていません。

提訴の意義

 そして、日本にも、他の諸外国と同様に、入院中心の医療から、地域医療へと変わるきっかけは何度かありました。1968年にクラーク勧告が出され、その後もいわゆる宇都宮病院事件が国際的にも強く非難され、1991年には国際連合の「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」が採択されるなどして、外部から日本の精神障害者の人権について考えさせられる契機はあったのです。国内でも、精神病院における実態調査が行なわれ、精神障害者施策の方針の転換や予算の振り分けを見直す機会は何度もありました。
 しかし、日本は抜本的に入院中心の精神障害者に対する施策を変えることなく、退院や地域医療を支える社会的資源は不足したままの状態が続いています。医療保護入院という、私人が強制的に入院させることができる制度についても、審査が形骸化した状態で(令和元年衛生行政報告)、裁量が過度に広すぎる運用がされています。国は、このような精神障害者に対する基本的な人権が侵害された状況を漫然と放置してきました。
 私たちは、この裁判で、この日本の政策の被害者のひとりである原告の訴えを通じて、この国の責任を問います。
 残念ながら、今なお、日本では、精神障害者に対する偏見が非常に強いため、精神障害者は入院していて当たり前だと思われている人も多いかもしれません。しかし、裁判所においては、このような偏見を持つことなく、精神障害者も私たちと同じ人間であるという前提に立って、白紙の状態で原告の言葉を聞き、客観的な証拠を取り調べていただきたいと思っています。