それぞれの場所でできることを

韮沢明(東京・相談員)

 今 日本社会では 様々な 悲痛さを伴った声が 聴こえてきています……
 毎年20000人を超える自殺者、障害をめぐる問題を含む様々な差別 常態化した人権侵害 いじめやハラスメント……その声は多様すぎて 多すぎて……一つひとつは か細すぎていたりして 私にはとても聴ききれませんし ここに書ききることもできないでしょう。
 ここまで書いてきて私には「無理が通れば道理引っ込む」という子供の頃のカルタに載っていたことわざが浮かんできました。
 私たちはあまりにも無理を重ねすぎて、もはや理にかなったあり方を見失ってしまったのかもしれません。そうして日本社会が放置してきた問題のひとつに精神科病院をめぐる問題があります。精神国賠研はそのことを訴訟を通して問おうとしているともいえるでしょう。この点について書くのは他の方におまかせするとして、私たち一人ひとりが自分のいる日常の中でしていけることは、どんなことでしょうか? たとえば日常で当たり前になっているムリあることに「しょうがない」をわきにおいて「これってムリあるよなあ……」に立ち返って眺めてみること……聴き取ることが難しい声にも「めんどうくさい」をわきにおいて聴き取ってみることで「重い荷を背負い続けてきたムリな日々があったこと」が聞き取れるかもしれません。
 人と人のつながりの中で語り合うことでお互いに背負っている重荷を軽くすることができたり相手の荷を知ることで自分の背負っているものが見えてくることもあるでしょう。国賠研の定例ZOOM会議は、毎回始まりに、参加者が近況を述べる時間と、終わりに今感じていることを語る時間がもたれています。毎回3時間の予定が3時間半ぐらいになったり、なかなか時間がかかることです。議題も、もろもろある中で、そこまでしなくてもと感じている方もいるかもしれません。それでも私はこういう小さな積み重ねが大事だと思います。
 人は大きなものに立ち向かおうとするとき、相手に目を奪われ、自身の今が見えなくなりがちです。
 小さな声に耳を傾けることに慣れた集まりが、多様な声を重ね合わせて堅牢な城壁に声を響かせていくことで、私たち一人ひとりが、聴く人であり声を発する人でもあり、共鳴りを起こす人でもあるような、そんな営みを生みだしていけるでしょうか?

皆さんへのメッセージ

金井久美子(群馬・当事者)

 精神国賠訴訟は、今年からいよいよ本格的に裁判が始まります。今コロナが大流行で、大勢人が集まることはかないません。けど、今の日本の精神医療を良くするために皆が声をあげないと、変えることはできません。
 私は、任意入院の長期入院でしたけど、原告にはなれません。私自身も、入院生活の中でいろいろな苦しい辛い体験をし、ひどい非人間的扱いをされたこともありました。しかし伊藤時男さんは、もっと幸せな人生も送れたはずなのに、やりたいこともやれない、自分らしく生きることもできず、40年間近い入院を強いられました。
 日本の精神医療は、外国と比べて、入院を必要としない人たちも強制入院させてしまう恐ろしいものです。私の入院経験を今振り返ると、なぜ長期入院させられる意味があったのかどうか、考えさせられます。
 皆さん、裁判はこれから、まだ長くかかる戦いになります。今の日本の精神医療を変える活動に、ぜひ一緒に参加しませんか?

選択できる普通の人生を

井上雄裕(愛知・当事者)

 私は統合失調症罹患者ですが、奥さんのお陰で寛解に至り、会社員として地域で暮らしております。ところが、この日本には30万人の方々が精神科病棟で暮らしている現実があります。WHO世界保健機構はとても重い警告を日本に発しております。30万人のヒトは家畜のように構造的に管理されて生かされております。
 自由の無い世界を想像できますでしょうか? 管理される自由の無い世界、これは重篤な人権侵害です。今現在、精神科病棟にいらっしゃる方は、とても穏やかで従順な人が多いです。そんな方が20年とか普通に暮らしております。それが今の精神科医療の現実なのです。
 私たち日本人は、歴史の中で精神障害を間違って理解していると考えられます。精神疾患って実はとても身近で誰にも起こりうる脳の機能障害なのです。

第一次提訴を出発点に

杉山恵理子 (東京・相談役)

 私たちは、伊藤さんの裁判を第一次提訴と位置付け、各地で順次提訴を予定しています。こ
の国の精神医療行政の被害者として、不当な強制入院を強いられてきた経験を有する方々に原告の候補になっていただきたい。そしてまた、裁判の証言者として、自分たちがどんな思いで病院で生活をしてきたのか、ぜひ聞かせていただきたいと考えております。
 現行の医療保護入院制度では、患者本人だけでなく家族もまた同意を迫られている被害者と言えます。そこには「この
子が不憫でならない、代われるものならどんなに代わりたいか」と泣く家族の姿があります。どれだけ多くの家族の絆が、この制度によって壊されてきたことか。国の政策の問題として、将来的にはご家族を原告とする国家賠償請求訴訟の提訴も視野に入れて可能性を追求していきたいと考えております。
 精神国賠研はとても小さな任意団体です。「この国で誰でも安心してかかれる精神医療」を創るためには、私たちだけの力では到底及びません。ぜひ皆様のお力添えをいただきたく、お願い申しあげます。

やさしかった死者たちへの誓い

古屋 龍太 (東京・精神国賠研代表)

 見送るひともいない、さびしい野辺送りを何回も体験しました。悲しみや無念を口にすることもなく、黙って静かに亡くなったひとたち。その多くは入院の必要もなく、地域で当たり前に暮らせるひとたちでした。冷たい亡骸の感触を忘れまいと誓いました。
 長期社会的入院の解消に向けては、各地でさまざまな取組みが行なわれ、こころある専門職も努力してきました。しかし、現場の実践だけでは、賽の河原の石積みのように何も変わりません。海外から繰り返し「人権侵害」の指摘を受けても、変わらなかったこの国の精神医療の歴史を総括し、国家の不作為責任を問わねばなりません。
 100年前に語られた「この国に生まれた不幸」を終わらせるために。「何をしていたんですか?」と後世のひとに問われても恥ずかしくないように。そして「少しだけど変えられたよ」とやさしかった死者たちに、いい報告ができるように……。