「かごの鳥」 から精神国賠の原告へ

精神医療国家賠償請求訴訟(第一次)原告 伊藤時男

長期社会的入院の体験

 私は「かごの鳥」でした。私は福島の病院に38年間入院していました。入院中は、養鶏場やプラスチック工場などの院外作業や院内の給食作業に計27年半従事しました。真面目に働けばいつかは退院できると思っていましたが、家族や主治医に否定されているうちに、「退院したい」と言えなくなりました。保護者だった父親が死に、もうここで一生生きていくしかないと諦め私は「施設症」になりました。
 入院して38年目に、東日本大震災が起きて原発から逃れ、3週間に5か所も避難先を転々としました。避難先の病院で1年半入院した頃、主治医からグループホームをすすめられましたが、金もなく職もなく住まいもない中で、自分など退院できないと思っていました。友人に相談したら「退院できるよ。絶対できるよ」と背中を押されて、退院することを決意しました。グループホームで2年ほど生活していましたが、自分で生活できるようにならなければと思い、一人暮らしを始めました。
 私の場合、東日本大震災がなかったら一生入院していたかもしれません。そして今、退院して14年も再発せず社会生活をしています。なんのために38年も入院させられていたのか、今でも疑問です。病気が良くなったら退院させるのが本当じゃないでしょうか。私のような社会的入院者が何十万人もいると、後で知りました。退院したくても退院できず、病院の中で我慢している人たちが沢山います。退院する意欲を失ったのは、施設症で退院する気力も奪われていたんだとわかりました。
 今はピアサポーターとして、自分のような社会的入院者のために手助けしたいと思っています。長期入院で施設症になった人たちをなくすためにも、何もしてこなかった国の責任を問う精神医療国家賠償請求訴訟の原告になりました。

東京地方裁判所での訴え─原告意見陳述より

 長期入院は、私だけの問題ではありません。私は入院期間が10年以上の人たちをたくさん見てきました。なかには、退院したいと言ったら看護師にダメと言われたことで絶望して常磐線に飛び込んで自殺をした女の人もいました。その女の人は入院期間が13年でした。開放病棟にいた人で、自殺は病気が原因ではありません。退院できないことの絶望感です。私は自殺という手段を選ぶことはしませんでしたが、その人の気持ちはよくわかります。もうこれ以上、そういったことは起きてほしくありません。だから、私は、裁判を起こすことを決心しました。 
 私は、たまたま東日本大震災が起きたことがきっかけで、60歳を過ぎてからやっと「かご」から出ることができました。今は、自由に自転車ででかけて、自由に買い物ができる、人間らしい生活が送れるようになりました。しかし、まだ「かご」の中から出られない人はたくさんいます。この裁判で、少しでも日本の精神医療が変わり、そういった人たちの役にたてればと願いました。

東京高等裁判所での訴え─控訴人意見陳述書より

 東京地方裁判所の判決文は、私が40年入院したのは病気や家族のせいだから仕方がないと言いました。また、私自身が入院を選択していたから長期入院も仕方がないとも言いました。精神障害のある人は、病院で暮らすのが当たり前だと言われているようで、とてもショックでした。
 東京地方裁判所の裁判官は、私に妄想などの症状があったことを言うばかりでした。入院中、精神疾患の調子が悪いときもありましたが、それは40年のうち、ほんの数えるほどでした。むしろ、入院している期間の大半は、調子は悪くなく、長年、院内作業や院外作業をしていました。 それにもかかわらず、裁判官は、調子がいいときのことは全く触れず、調子の悪いときばかりを取上げました。精神疾患があると、調子の悪いときのことばかりに注目されてしまい、まるで、いつも問題行動を起こすような人、というような偏見の目で見られてしまいます。裁判所も、同じように、そのような偏見の目で私を見ているのだと感じ、とても残念に思います。
 また、東京地方裁判所の裁判官は、私の家族が退院に消極的だったことが理由で退院できなかったということに、何の疑問も持たなかったようです。私は、当事者尋問でもお話しましたが、病院からは「うちの人がいい」って言えば退院させてやると言われ、家族からは「病院がいい」って言えば退院させてやると言われていました。なんかかみ合わないな、どうしようもないなと思いました。うちの人も病院も「退院していい」と言わないので、私は退院できませんでした。私自身の退院のことなのに、家族の意見で決められてしまうのです。裁判所は、このような理不尽なことを正しいと考えているのでしょうか。このような理不尽なことがまかりとおってしまうことを、恐ろしく思います。
 さらに、東京地方裁判所の裁判官は、長年入院していたのは私が選択したからだと考えたようです。しかし、それは明らかな誤解です。精神病院での入院には自由がありません。起床、就寝、食事など、すべて病院で決められた時間どおりに生活しなければなりません。病院の許可がなければ外出もできません。私は、父親が亡くなったことも知らされず、葬式に参加することもできませんでした。まさに「かごの中の鳥」でした。誰が、好き好んで、このような精神病院での生活を選ぶでしょう。
 私は、何十年も精神病院で入院しているうちに、退院したって、手に職もないし仕事をすることもできなければ家もないので、社会に出ても役に立たない、社会でやっていく自信がないという気持ちになっていました。しかし、入院を自分で選んだという気持ちは少しもありませんでした。
 もし、入院当時、社会に戻っても生きていくことができると教えてくれる人がいれば、家族や病院の言いなりにならなくてもよいと教えてくれる人がいれば、あるいは、退院した後の生活を支えてくれる人がいれば、私はまっさきに退院することを選びました。
 精神疾患があると、閉じ込められても仕方がないのでしょうか。精神疾患があると、家族のいうことをきかないといけないのでしょうか。何十年も入院させられ退院できなかったことは、自信がなくなった私のせいのでしょうか。私と同じような人はたくさんいます。この国の精神病院のしくみがどれだけおかしなものであるか、裁判所に改めて考えていただきたいと願いました。

裁判を終えて─皆さんに伝えたいこと

 東京高等裁判所の控訴審でも、原告敗訴の判決が出されました。2回も棄却されて本当にがっかりしました。もう疲れて、闘い続ける気力が残っていませんでした。多くの支援者の皆さんは、最高裁判所への上告を期待していたようでしたが、もう闘えない、限界だと思いました。上告はしないことを皆さんに伝え、これまでの支援に感謝を伝えました。
 私の裁判は終わりましたが、精神科病院で働く皆さんにお願いがあります。今も何十年と入院している人たちがいます。皆さんが先にあきらめないでください。なんでも病状のせいにしないでください。病院経営のために患者を退院させないようなことはしないで下さい。生きる希望を奪わないでください。目の前の人たちが退院できるよう、あらゆる努力をしてください。見て見ぬふりだけはしないでください。この国の精神病院のしくみのおかしさを問う、精神国賠裁判を応援してください。よろしくお願いします。