伊藤裁判を振り返って

伊藤時男代理人弁護団 長谷川 敬祐

1 精神国賠(伊藤さんの裁判)と出会って思ったこと

精神国賠研究会に参加して10年以上もたってしまったので、研究会に参加した当時のことは、記憶にありません。その意味で、「出会って思ったこと」という感想をお話するのは難しいです。それよりは、さまざまな人が議論を重ねて、思いを乗せた精神国賠が一つの形になったことに大きな意味がある、というのが率直な感想です。
当たり前のことですが、運動としての裁判は、受け身で始まるものではなく、こちらから積極的に提訴をしなければなりません。難しい裁判であればあるほど、想造する以上に、提訴に対する不安は高く、一歩を踏み出す勇気が必要になります。
精神国賠に限らず、日常的に当たり前のように繰り返される不当な固定的な観念や常識に対して、心のどこかで「おかしいぞ」と感じても、それを声にすること、行動にうつすことがとてもハードルが高いことは、精神医療の世界にいる皆さんであれば、共感していただけるのではないかと思っています。
ですから、実際に、国賠訴訟という形で提訴し、「おかしいことをおかしいと裁判で声を上げることができたこと」は一つの財産であると思っています。
そして、そのような裁判の先陣として、原告として手を挙げていただいた伊藤時男さんには、何より感謝しかありません。伊藤さんのお人柄があったからこそ、大きな一歩を踏み出せたというのは、間違いありません。伊藤さん、本当にありがとうございます。

2 裁判経過(地裁・高裁判決)から考えたこと

裁判における獲得目標は、何段階かのレベルがあると思います。
目標を単純化させれば、国に損害賠償責任を認めさせる、いわゆる勝訴判決が目標になります。もっとも、仮に敗訴するとしても、精神保健福祉法等が憲法違反であると判断されれば、それは大きな成果となると思います。あるいは、確定的な憲法違反の判断までは認められないとしても、伊藤さんの長期入院が不当な人権侵害であったと、そう認めてくれるだけでも一つの成果です。
ところが、今回の裁判所は、地裁においても、高裁においても、これを認めてくれることはなく、むしろ、精神障害のある人は長期療養もやむを得ないとの考えが前提にあるような判断がなされました。地裁判決は特に酷かったと思います。
その判断の根底には、やはり偏見があるように思います。その偏見を覆すだけの材料を裁判所に提供できなかったことは、私の力不足ではありますが、人権という側面からも、医療という側面からも、入院治療はできる限り短いほうが望ましいという当り前のことさえ共有できない現状は、やはり異常なのだと思います。どうしてこのコンセンサスが得られないのか、その当たり前が精神疾患や精神障害の特殊性という言葉でどうして簡単に覆されるのか、未だに理解することができません。

3 今後の精神国賠への期待や願っていること

らい予防法や旧優生保護法の裁判など類似した裁判は、法律の改廃が先行し、その後に、国の賠償責任が問題となりました。一方、精神医療の問題は、国会を含めてさまざまな議論がなされ、少しずつの改正は見られるものの、強制入院等の根本部分に関する法律の改廃はなされていません。その根本部分の問題について、今回わかりやすく裁判所に提示することができたかといえば、できなかったというのが正直なところです。
次からの精神国賠では、これまでの日本の精神医療の歴史のなかで議論されてきたコンセンサスをわかりやすく提示することが必要になってくると思います。あるいは、精神国賠の運動のなかで、そのコンセンサスを構築して行き、法律の改廃に向けて社会に訴えていくことのほうが大切なのかもしれません。
その詳細は皆さんや新たに代理人となる弁護士さんにお任せしたいと思いますが、大きな一歩を踏み出すことの勇気をいただいた伊藤さんの思いを、是非、今後の運動にも紡いでいただけたら、私としても嬉しい限りです。

リレートーク・精神国賠訴訟のこれまで、そしてこれから

極私的総括

長野・PSW 東谷 幸政

去る3月8日に明治学院大学白金キャンパスにおいて精神国賠訴訟の総括集会が開かれました。
目黒駅からバスで明学に向かう途中で白金自然教育園の前を通りました。学生時代に当時の彼女と行った思い出が突然甦りました。
私にとって精神医療との出会いは衝撃的でした。
学生時代の親友が統合失調症を発病してコミュニケーションが取れなくなった。姿形は変わらないのに会話のキャッチボールが出来なくなった。これは一体何だろう?
大学卒業後に千葉県の総合病院のソーシャルワーカーになった私は内科病棟で暴れて精神科病院に転院された老女が気になり、お見舞いに行きました。
天窓から差し込む光に濛々と舞い上がるホコリ。そして異臭。ちょうど昼食の後で患者さんが一列に並ばされて次々に精神薬を口に放り込まれて、別の看護師が口内をチエックしていました。男性は全員が丸坊主、女性は全員がおかっぱのちびまる子ちゃんスタイル。個性が剝ぎ取られていました。
これは医療ではない。たんなる強制収容所だ。こんな治療環境で良くなるはずがない」そう直観しました。何とかしなくてはならない。しかし、自分に何ができるか。
「東葛地域精神衛生懇話会」という任意団体を作り、事務局長になりました。松戸、市川、鎌ヶ谷、柏などの保健所、病院、国立精研などの保健師、心理、医師、ソーシャルワーカー、研究者を集めて、毎月一度の事例検討会を開きました。
ちょうど私がソーシャルワーカーになった1980年にバンクーバーのUBC(ブリテッシュコロンビア大学)から東大に林宗義先生が客員教授として来られ、私の連れ合いの指導教官が林先生の盟友の土居健郎さんだった縁で林先生の事例検討会に何度か出席させていただきました。日本とカナダのあまりの違いに驚き、林先生に依頼してバンクーバーのコミュニティメンタルヘルスケアチームにぶち込んでもらい研修させてもらいました。カナダはコミュニティメンタルヘルスケアチーム主体のアウトリーチの24時間コミュニティケアです。スタッフの中心は看護師やソーシャルワーカーや作業療法士ですがほとんど修士や博士の恐ろしく訓練された人材を揃えていました。
このとき、はっきりと目指すべき方向性がわかりました。精神国賠訴訟は、病を得ても地域社会のなかで普通に暮らせるようにすること。実際にバンクーバーでは実現しているのだからやれない筈がない。
アメリカやカナダの障害者運動はラルフ・ネーダーらの消費者運動と結びつき権利を獲得していきました。私たちの運動もマイノリテイの統一戦線の形成が必要だと思います。

総括フォーラムに参加して

埼玉・PSW 大野 和男

伊藤裁判は、我が国の精神衛生法(当時)施策における強制入院制度が、いかに精神障害者の人間性と生活力を損わせる深刻な人権侵害をもたらしてきたか、その責任を政府に問うというものでした。しかし判決は人権問題には踏み込まず、極めて遺憾な内容でした。
人権問題では、我が国のPSWは、不当入院に関わったとして、当事者と支援団体から糾弾された歴史を持ちます。この問題についてPSW協会が明らかにしたのは、PSWの行為は精神衛生法(当時)に抵触した行為とは認められないにも関わらず、結果的に病気でない人を強制入院させることに関与したということでした。我が国の精神衛生法体制の構造上の問題を浮かび上がらせました。全国のPSWと日本PSW協会は、この問題(Y問題)を深刻な人権問題として受け止め、自らの実践の点検を10年近くかけて行ないます。そしてその取り組みの必然的結果が、1982年6月、私たちが札幌宣言と呼んでいる「精神障害者の社会的復権と福祉のための専門的・社会的活動を進める」を主旨とした基本指針の採択となりました。この時期は未だ報徳会宇都宮病院事件が取り上げられる以前のことであり、当時の精神医療状況を考えると我が国の精神保健福祉の歴史にとっては画期的な宣言であったと考えています。
今日の基調講演で主テーマとされた施設症の問題は、深刻な問題であると認識していました。入院理由が明確に理解できない精神障害者にとって施設症の状態は、強制入院という環境に屈服(自己疎外)することによって形成されていくのだということをもって銘記すべきです。
私は、施設症を「こころの褥瘡」と考えることにしています。入院者が「入院している方が楽だ」とか「退院したくない」と言ったとしたら、それは、施設環境が、そうさせてはいけない「こころの褥瘡」状態に陥らせたと認識し、そのような状況をもたらしたのは医療の敗北であり、また制度施策の誤りと考えるべきです。医療側には利用者が施設症に陥らないように対処すべき責任が、国はそのための施策を図る責任があります

伊藤裁判総括フォーラムを振り返って

東京・サバイバー 根間 あさ子

島田監督「父と家族とわたしのこと」(戦争PTSDの元日本兵の家族たち)という映画を観た。その中で信田さよ子さんがPTSDからの回復のためには「加害者研究」をすることが必要だと言われている。何故、父親が実の子どもに対して凄惨としか言いようのない暴力を振るったのか、何故、戦争に行く前は優しい良い人と言われていた父親があのような悪魔のような人になってしまったのかを、子どもたち、孫たちは探っていく。
被害当事者が加害者を研究することが自らの回復につながる
この言葉を聞いた時、私は気づいた。私はこれまで、自分が国賠研に関わる理由を、長期入院者が今もなお多数おられることへの憤りと、そして自分だけ救われていることへの罪悪感によると考えてきた。しかし、それに加えて、日本の精神医療を少しでもましなものに変えることが、私自身の回復のためにも必要なことなのだと今更ながら知った気がする。
何故、私を苦しめた精神医療は“医療”であるのにも関わらず、人を“傷つける”ようなものだったのか?
私はその理由を知ろうとし、この道に帰ってきたのかもしれない。そして地域精神福祉の中で動き回るうちに必然的に過去のトラウマと再会してしまい、もがき苦しみながらも、過去に病院で出会った患者たちと違い、地域には元気に回復して自分らしい暮らし方をしている精神障害をもった人々が大勢いることを知り勇気をもらった。そうして、相変わらず閉じ込められ続けている人々を何とかして地域へ取り戻したいと思い、さまざま活動してきた。みんなを助けることが私自身を助けることでもあると知った今、さらに努力を重ねていきたいと決意を新たにしている。

裁判を終えて、今思うこと

群馬・原告 伊藤 時男

裁判を終えて、私は今、有意義な生活を送っています。昨年までは、裁判と講演で忙しかったのですが、今はカラオケやデイケアなどに出向いて毎日を有意義に過ごしています。
その他にピアサポーターの活動をしています。アルカディアという地域活動支援センターに所属し、ピアサポートの仕事をしています。アルカディアに所属しているピアは8人くらいいましたが、最近では4人ぐらいしか活動していません。それでも近くの三枚橋病院の患者さんや職員の人とオンラインで講演をしています。私が裁判で訴えたかった社会的入院や施設症などで入院している人のために、私はピアの活動をしています。少しでも社会的入院や施設症の人をなくすため、私たちピアは活動をしています。
患者さんとオンラインで会話をしていると、三枚橋病院の患者が「あんたダレダレさんだよね!」と言われ、ピアの仲間のひとりが三枚橋病院の元患者と分かりました。元患者のピアさんは、他のピアの人が「Aさん知ってる!」と言ったら気まずい顔をしていました。私は、ピアの仕事ではこんなこともあるのだなとつくづく思いました。元患者と知られたくない人もいます。ピアの仕事は患者さんのために色々話をしますが、相手の身になって考えて話をし、相手を気づかい、和む言葉で見守って欲しいと私はつくづく思いました。
今、私が裁判を終えて、裁判が負けて悔しいと思うのは、裁判が私たちの訴えを簡単に棄却し、国の思いやりが少しもなかったことです。ピアの私たちがピア活動をしている時、前に書いたように相手を気づかい、相手の身になって話をすることの大切さを、ピアの仕事をしてつくづく考えさせられました。
私の裁判では、何の理由も言わないまま、ただ棄却しますと裁判官は先に言いました。理由は後で弁護士さんから裁判が終わってからの報告会で聞きましたが、私は裁判官からはっきりした理由を聞きたかったのです。それが心残りです。

私の総括 謝罪しかできない私

北海道・PSW 門屋 充郎

私は時男さんに謝ることがあります。人生を奪われた長期の入院生活、その元凶である我が国の精神病院医療中心の体制を変えることができなかったことを心から謝ります。加えて未だ長期入院、社会的入院、非自発入院、そして時男さんが言う施設症の方々、入院という自由を奪われ続けている沢山の方々にも謝ります。
私はPSWです。人と環境の相互作用に関わり、本人の権利擁護のために環境に働きかける、国際的には必要ならば変革を担うとされている精神保健分野のソーシャルワーク専門職です。尊厳の回復のために精神保健医療福祉を根本から変えることなしに、繰り返され、続けられている不幸を再生産する社会システムとなった精神保健医療福祉制度を、何としても変えなければなりませんでした。私はそのために一人ひとりの支援を行ないつつ、制度を変えるために私なりに50数年間活動してきました。でも根本は変えられませんでした。このことを、精神医療を利用するすべての人に謝りたいのです。
現実は良質な精神医療と悪徳な精神医療が混在し、良質な精神医療は悪徳な精神医療に支えられて存在することも見えています。入院のない地域での診療として多数の精神科クリニックが出来たものの、これも精神病院頼りになっていることも現実なのです。地域移行を進めますと言いながら、病床がある限り経済原則は入院者を確保し続けるわけで、これでは現場でいくらそれぞれが頑張っても、結局現状は変わらないままでした。
このことの打開策が国賠訴訟でした。時男さんはじめ国賠の皆さんにはよくぞ取り組まれたと感謝しかありません。無責任ながら司法が国賠を認めることを期待し、私はほとんどの裁判に北海道帯広から傍聴に通いました。司法にすがる自分、傍聴しかできない自分がむなしくなることもたびたびでした。
いろいろな団体が改革の取り組みを始めています。同じ目標を持って連帯することが大きな力となります。そこで国賠研の役割は大きな存在となっています。

医療や司法をチェックする仕組み 〜 『敗訴』から見えてきたこと 〜

東京・きょうだい遺族 中村 佳世

伊藤国賠『敗訴』から、「事実認定に必要な種々のチェック制度を欠くため、制度による権利侵害が証明できない」という、『不作為の循環』が見えてきました。自由と幸福を制限された体験から発する疑問と知恵は核心を突き、その『意見』は貴重です。例えば、
①正式な移送手続きのチェックと記録
②基となる『患者の権利法』
③司法等の面談審査による事実確認
④公式な調査権限を持つ国内人権機関へのアクセス
⑤カルテ審査により治療の疑問に答える専門機関
⑥専門機関による医療事故調査と国による無過失補償、過失の立替え補償する医療事故基金。(故意過失は裁判)
等があればどうでしょう? 事実確認が可能になり透明性も向上、⑥では施設症による自律性の喪失が重大と認定されれば補償され、患者、医療者共に訴訟による疲弊が回避できます。
国賠訴訟は、法や公務員により被った損害を、原告自ら証明して初めて救済される制度で、本来必要なのは予防。人権擁護の構造としては、④国内人権機関の他に⑦憲法裁判所、⑧国際個人通報制などが裁判所のチェック機能となり、擁護機能を高めます。日本の裁判所は唯一絶対の司法機関、独立性の検証も難しく個人の権利も裁量次第です。
④⑦⑧を持つ韓国では、医療保護入院の違憲判断を受けて要件を厳格化、公立病院所属を含む2名の指定医の診断、自傷他害の危険かつ日常生活が困難であること、司法を交えて、人権侵害の有無や今後の希望などを直接本人に確認することとしました。「何人も『公共の福祉に反しない限り』、居住、移転及び職業選択の自由を有する」(日本国憲法22条)。公知の事実にもupdateが必要です。
自由とは『支配されないこと』。切実さを知る当事者の希みは、不作為と親和する責任追及よりも具体的な改善。裁判の結果を(国連)障害者権利委員会に報告し、建設的対話を求めたいと思います。

偏見の除去を!

長野・家族 飯島 富士雄

フォーラムの内容として杉山さんの基調講演、長谷川さんからのビデオメッセージついでリレートークと続き、どのプログラムも内容が充実していて良かったのですが、私にとって印象的だったのは伊藤裁判弁護団長の長谷川さんからのメッセージでした。
伊藤裁判がなぜ敗訴したのか? 東京地裁の判事は「精神疾患患者は危険」な人間だから、彼らは隔離収容されて長期入院になってしかるべき、と言い渡しました
長谷川さんは、この判事達は入院患者の人権を重視した訳ではなく、また国連障害者権利委員会からの勧告を考慮した訳でもなく、これまでの日本の行政の隔離収容政策を支持したもので、これは日本の一般国民の精神疾患患者に対する単純な偏見及び差別的感情を表現している、との見方でした。
すなわち、国賠研の今後の裁判も日本国民のこのような精神疾患患者に対する偏見と差別感情が蔓延しているような状況では勝訴することはなかなか難しいでしょう、との見解です。
私もその意見には賛成です。
諸外国では第二次世界大戦後、次第に適切では無いと是正されてきた精神疾患患者を入院させ隔離する施策を日本は相変わらず継続していますが、制度としてのその元凶は強制入院(保護入院)制度です。患者を保護すると言うよりは、危険な人物から社会を保護するとの観点に立って、また民間の精神科病院の経営に配慮したもので、患者の人権に配慮して治療するという医療の本質からは、あまりにもかけ離れた精神科に関連した特異な医療制度を作り上げ、続けているのです。
国賠研としては伊藤裁判の敗訴にもめげずに、また原告を立てて国賠の裁判を継続することが必要です。また、私個人としては家族の立場で、長野市地域で家族会活動を主唱してきましたが当事者と共に、地域において市民の面前に出て色んな活動や発表をして精神障がい者が危険な人物では無く、一般市民と変わりない人達であることを示して、市民の偏見や差別的感情を少しずつでも是正する努力をすること、このような小さな活動の積み重ねが、回り道のようですが必要な大切なことであろうと考えている所です。

二つの不条理と集団訴訟

大阪・看護師 有我 譲慶

30年以上精神科看護に従事し、強制入院や閉鎖病棟、隔離・身体拘束に関わる中で強い葛藤と身体的ストレスを経験した。大阪精神医療人権センターの活動に参加し、電話相談など当事者支援に関わることで、その苦しさは軽減され、現在は訪問看護の現場で強制によらない精神看護の意義を実感している。
伊藤時男さんは、入院中、院外の養鶏場や厨房の作業など、27年間働いてきたが退院できず、原発事故による避難を契機にようやく退院した。この二つの不条理は、時男さんの貴重な人生の時間を奪った。日本の精神医療における「無期限の入院」という深刻な構造問題を、国連障害者権利委員会が批判した。しかし国賠訴訟では制度の問題ではなく個別事例に矮小化され、国の責任は十分に認められなかった。
日本の精神医療には「精神病院ガチャ」がある、早期退院を進める施設がある一方で、長期入院を中心の病院が多い。他県のPSWの知人は院長に呼び出され、「長期入院者は病院の固定資産だ、退院促進なんかするな」と言われた。彼女は憤慨して退職し、2年後には他の病院で退院促進を続けた。入院者を「固定資産」とみなす経営構造が長期入院を温存している。過剰な病床削減と地域移行政策が不可欠だ。
精神保健福祉法は精神衛生法を引き継ぎ、実質的に強制入院を中心とする構造だ。医療保護入院の書類審査は形式化し機能していない。無期限の入院や、隔離・身体拘束が可能な法制度は抜本的な改革と廃止が求められる。
去年、大阪精神医療人権センターで「当事者の語りから、長期入院を考える」シンポジウムを開催した。伊藤時男さんの他、15年、20年、30年の長期入院体験者3人の体験が共有された。時男さんの存在に自分と同じだと励まされている人もいた。しかし個人訴訟は家族や病院との葛藤も強く難しい、集団訴訟を望むと。当事者・家族・支援者が連携した取り組みと、法制度改革に向けた社会的・政治的働きかけが重要な課題だ。

杉山恵理子さんの基調講演を聞いて

奈良・PSW 福田 陽子

基調講演の話は、思わず耳を塞ぎたくなるほど壮絶な内容でしたが、同時にもっと多くの人に伝えたいと思いました。長期入院がどのような過程を経て人のこころを蝕むのか。「長期にわたる非同意入院」すなわち「監禁」の実態は、単なる不適切な身体拘束という人権侵害の枠を超え、「人格の解体」そのものだと感じるほどでした。本来、病院は個人の尊厳を守り、回復を支援すべき医療の場です。しかし、治療として行なわれる身体拘束や隔離、多剤大量投与などは、患者の身体のコントロール権を剝奪する暴力であり、奴隷化させるものだとありました。さらに、その環境が「複雑性PTSD」の発症をもたらす。長期にわたる監禁状態は、逃げ場のない恐怖と圧倒的な無力感を持続させ、「ロボット化(過剰適応)」するといいます。感情や思考をシャットアウトする回避・狭窄の症状は、精神病院で生き延びるための必死の防衛反応だと知り、その状況を想像するだけで戦慄しました。
伊藤さんだけでなく、今も多くの人々が強制入院下で感情を殺し、ロボットのように入院生活を送っている実態を、国や社会が「知らない」ことの罪深さを痛感しました。国賠訴訟の原告となるべき人々も、この無力化のプロセスの中に囚われ、声を上げることさえ封じられています。控訴審において、杉山さんの意見書を突きつけられてもなお揺るがなかった理不尽な判決には、改めて悔しさを禁じ得ません。
私たち精神保健福祉士は、そのルーツにおいて「社会的復権」を掲げた専門職です。長期強制入院の実情に向き合い、当事者の「従順さ」を病状の安定と履き違えないよう律し、奪われた権利、損なわれた尊厳、そして何より「自分自身の人生を決定する主体性」を取り戻すプロセスを大切にしなければなりません。長期入院は時間を奪うだけでなく、その人の存在そのものを消し去る暴力です。死亡退院としてしかこの環境から出られないような現状を維持してはならないと考えます。また、人のこころには過酷な環境でも生き抜く勁さもあると話がありました。伊藤さんが投じてくれた一石を大切に、私たちがその勁さを持って活動していきたいと思います。